セルフライナーノーツ Vol.6

個人制作編 (3)

存外長くなった個人制作編、今回はさよならQY70編でもある。


41. Celestia (2006)

懲りずにトランスを作っている。聞いてると何かの影響というのは分かるものの曲名が思い出せないが年代的にはArmin van Buuren辺りな気がする。オリジナリティには欠如しているものの、引き出しはそれなりに持っていたあたりちゃんと色々な曲を聴き込むインプットはやっていたということは伺える。偉いぞ。

42. Deus Misereatur (2006)

Czk · Deus Misereatur

ラテン語で「神よ憐れんでください」というグレゴリオ聖歌の歌詞?らしい。よくそんな単語見つけてきたな。

曲の方はそんなことは関係なくいつもの後ろ向き4つ打ちテクノである。少しプログレッシブな感じにハマっていたようだ。QY70でやれることをやれる範囲でちゃんとやろうという方針になっていたようにも感じる。

44. QY.(period) (2006)

そのまんまMAX.(period)をモチーフにした一発ネタ。DDRを布教してくれた知人がステマニの譜面を作ってくれた。なるべくそれっぽくしようと思ったが、この頃のDDR曲は1分半までが主流だったのでレギュレーション違反である。

機材の制限でBPM600も出せなかったが、原曲も譜面だけ600で曲は300だった気がするし、何ならMAX300も譜面は300だけど曲は150だよな、と思っていたがDiverse SystemでMAX150という曲があったので皆同じことを考えるらしい。そりゃそうか。

46. Inferiority Complex (E.N.G. REMIX) (2007)

Czk · Inferiority Complex(E.N.G. REMIX)

5鍵盤っぽいミニマルを作ってみようとして、友人の個人サイト名をテーマに作った。5鍵盤も1分半が基準だったはずなのでこれもレギュレーション違反である。全然ミニマルっぽくないが、確かに当時ミニマル作ろうと思っていた記憶はある。BMSでも作ってみればよかったなとも思ったが、音切りと譜面制作をするほどの技術は持ち合わせていなかった。

47. Distance Between Us (2007)

Czk · Distance Between Us

相変わらずの後ろ向きテクノだが、大分BPMが落ち着き始める。この頃にHiroshi Watanabeの名義の1つであるKaito名義の楽曲と出会ったことで今後目指す方針が大分定まったのがかなり影響していて、特にキックの使い方はその辺りの影響が大きく、以降の作品にも転用頻度が高い。

確かQY70にはハイパスフィルターもなかったと思うが、それっぽい感じをよくこの機材単体でやってたなと思う。

48. Moonlight Shadow(Night Groove mix) (2007)

Mike Oldfieldの同名曲(というよりはDDRに収録されていたMissing HeartのNew vocal version)のリミックス。あれだけごちゃごちゃ音を並べていた初期の頃と比べると大分一つ一つのパートが洗練されてきているような気もするし、流石にまともに音を録れるようになったなと成長を感じる。

個人制作ではこれがQY70使用作品で最後になる。結局同じQY70使いだったOnoken氏やParaoka氏と同じ高みには到達出来なかったが、扱いにもなれてイメージを形にしやすい機材として使えたことには満足していた。

49. Solitude (2008)

作曲演習かなにかの時に、大学の機材を使用して初めてシーケンサとハードウェアの音源で作った哀愁感のあるクラシックスタイルなハウス。作業はこじんまりした液晶からディスプレイ上でのピアノロール上になり、作曲手法も違えば初めて扱うハードウェア音源(何だったかは失念した)だったので、片っ端から音色バンクを叩いて自分の楽曲の引き出しと照らし合わせて使えそうな音色を集めてから曲を作る流れだったと思う。授業の最後に作った曲の譜面を起こせという課題を出されてスネアロールを書いた自分を恨むことになる。

これを作ったことでQY70からDTMに乗り換えてもやっていけるな、という手応えを感じたような気がする。

さよならQY70。

というわけで長らく続いたQY70とのお付き合いも、個人の制作においてはここで別れを告げることになった。今もう一度使いたいかと言われると今のスタイルには合致しないしスペック的にも流石に厳しい気はするが、慣れれば扱いやすくてとても良い機材だったと思う。

どこで書いたかQY70時代は良くも悪くも自由にやっていたが、如何せん幼かったこともあって全部が全部良い思い出というわけではない。それでもこの時の活動をやっていたのは、色々な意味でその後に活きたなというのは今でも感じる。今回でもう掘り起こすことはないと思っていたものを大分掘り起こした気がするしこれまでリファレンスにしていた楽曲を開示したことはなかったと思うので、このサイトが消滅したらもう二度としないだろう。


次からは自身のサークルを立ち上げる所からの予定。