Ableton Live
というわけで紆余曲折あって長年連れ添ったQY70と麓を分かち、完全DTM体制に移行した。どういう理由で選んだか忘れたが、シーケンサはAbleton Live7を選んだ。VSTもサンプリング音源もエフェクトも使えるようになったので、一気にやれることが増えたし、付属していた「Essential Instrument Collection 2」だけでもQY70の頃とグレードが桁違いだったので弄ってるだけでも「ようやくこれでスタートラインに立てる」と感じられたように思う。
この頃は音楽をやればモテるなんてものは少なくとも自分のジャンルでは幻想なことはわかりきっていたため、音楽癖と同様に童貞コンプレックスを拗らせた結果の負の感情が主な原動力でもあったと思う。傾倒しているジャンルのせいか「モテたいとかそういう邪心がなくてストイックな感じでいいすね」みたいなことを言われることもあったが、そんなわけなかろう。私だってモテたいし女の子とキャッキャウフフしたいに決まっている。実態はただ単になんかそれを表に出すのはちょっとイケてないな、という拗らせ方をしていただけであるが、良いように解釈してくれていると思ったので特に否定はせず「うっす」とだけ返答する日々だった。
一次創作音楽サークル「Disorder Circulation」設立
ちょうどその頃、高校の頃の同級生だったgrayが音楽制作に興味を持ち出したことをきっかけに、じゃあ二人でサークルをやるか、となり「Disorder Circulation」を設立。命名はお互い1つずつ好きな単語を出してきて組み合わせた造語…のつもりだったが、後に医学方面で割と使われているワードで非常にググらビリティが悪いことが発覚する。元々彼も同じ吹奏楽部出身だったにも関わらず電子音楽方面への造詣が深かったことや、比較的趣味の方向性が近かったこともあり、特に音楽性の違いで揉めるといった定番イベントは起きなかったが、同じサークルで活動しているにも関わらず合作やライブを同時に行うことがなかったため、巷では不仲説が流れていたこともあった。
ところで音楽は作れても、じゃあコミケやM3に出るとなるとこの頃はオンラインで配信するなんてことは一般的ではなく、CDを持ち込むことになる。grayはおろか私も自身でCDプレスとかそういうのを自分でやったことがなく勝手が分からなかったし、ジャケットのデザインも1から自分でやった経験もない。またこれまで自分以外の人間と1枚のCDを作るという経験にも乏しかったので失念していたが、マスタリング作業も必要になる。 というわけでgrayと相談した結果、私は多少なり知見のあるWebとデザイン周りを担当し、grayがマスタリングを行う形になった。この形は活動中は変わることはなかった。
Disorder Circulationの作品は、全てBandcampへの移行が出来ている。後期作は主に海外勢向けにイベントの翌日から不定期で配信開始という形を取っていて、Paypalの開通や日本語未サポートのプラットフォームだったことも相まって当時としては国内ではまだ珍しかったのではないかと思う。収益は0といって差し支えないが、こうしてオフィシャルで現存する形で作品を残せたことには意義があったと感じる。
サークルにおける自身の音楽の在り方
特に音楽の方針については制限とかは設けておらず、お互い何となく雰囲気でこういうことをやり、こういうことをやらないという線引きを暗黙的にしていた。実際そこまで突っ込んだ話をしたこともないためgrayの真意は違うかもしれないが、少なくとも私はもう既に大分拗らせていたので「巷で流行りの音楽に乗っかるだけなのは他にやっている人がいるから、あくまで自身の趣味を貫いた結果の副産物をCD形式でリリースしている」というスタンスだった。文字にすると結構痛々しい。
前述のスタンスがあったのでセールスは正直気にしていなかったのは事実で、イベント参加費が回収出来て、かつ打ち上げでビール代になればいいね、くらいの感じだったので広報活動はTwitterでリリース告知を出す以上のことはなるべくしないでいた。アーティストたるもの多くを語るべからず、みたいなのが格好いいと思っていたので、当時のWebサイトでは何か意味深なことを書いてリスナー自身の感受性に任せるみたいな自己満施策もやった。事実上の活動停止になって久しく、せっかくの機会でもあるので今更ブランディングもくそもないだろうということで思い出せる範囲で書けるだけのことは書いておく。
concurrency EP (2008)
処女作。え?これ2008年なの?本当に直前までQY70だったのか。
プレスはもとよりCD-Rコピーを発注するにもお金はかかるし、そんなに一杯生産したところで自分たちの音楽に需要はないだろうということで、せっせと30枚ほど手焼きした。あまりの面倒さに次からは裁けなくてもいいから最小ロットでコピー発注にしようと誓った。
1. perfect truth
初っ端から微妙にダウナーな4つ打ち低速テクノ。環境に移行して間もないということもあり、大分手探り感はある。何かリファレンスがあったような記憶もあるがパッと出てこないので、思い出せたら追記するかもしれない。
3. hyprocrisy
Ableton Liveに付属していたEIC2でトライバルな楽器がそこそこあったので、そのへんを使った4つ打ちにしようという発想だったように思う。
これもしかして「hypocrisy」のタイポかもしれないという気がしていて、学のなさが如実に表れていて悲しくなる。
5. guilty girl
色々出来る環境になったのだから何かトリッキーなことがしたい、という身も蓋もない出発点から来ている。今までほとんどやっていなかった和音の重ね方をして遊んでいた所、ATM氏の「ヒッポカンパスにおける記憶の断片化と再結合」に見られるような格好よく不安定感のある音を出すのはこうするのか、ということを足がかりにして、新たに買ったサンプリングCDで遊びつつ曲の体裁にした。
曲名に関してはこれを書くまで完全に忘れていたが、もう名も思い出せないとある女史に「彼氏がいなかったら付き合ったのにな」みたいなことを言われて実現可能性がない発言で中途半端に期待させて童貞を弄ばないでほしいと憤慨した結果だったという思い出。
Phenomenal Sequence (2008)
2作目。今考えるとめちゃくちゃ自惚れたアルバム名だなこれ。全体的に後ろ向き感がマシマシになり、ますます世間からの流行とはある意味真逆の方向に突き進み始める。以前にも少し触れたが拙作のMetempsychosisのリミックスを収録しているのは本作である。
前作が予想を裏切り刺さる人には刺さったらしく、リリース告知に少しばかりの反応がつくようになり、弊サークルや作品に言及する奇特な人を観測するに至った。
2. Bathyscaphe
プラックシンセをどういう思考回路を繋げたのか深海っぽい印象に受け取ったことから、アンダーウォーターな4つ打ちにしようとした。実際に受け手がどうだったかはわからないが、個人的には狙い通りの形には出来ていたと思う。
バチスカーフは深海探査艇の名前から取っているが、grayには成恵の世界の罰襟巻と言われていた。由来に関しては前述の通り深海モチーフだったので実在した船の方で間違いではないが、ワード自体は成恵の世界で既に知っていたはずだったので今考えたらあながち間違いではなかったかもしれない。やはりクソオタクであった。
4. Life is such a thing
この頃は書店でのアルバイトのシフト数がかなり多くて体力的に疲弊していることが多かったため、箸休め的な感じで作った。ハウスほどダンサブルでもないし、いつもみたいにピアノを重用するわけでもなく、なるべくニュートラルな感じにリスニングミュージックにしようとしていたように思っていたので聞かせるような主旋律的なものもない。
6. Lost Moon
以降シリーズ化しようと目論んでいた低速ブレイクビーツ。しれっと11分弱ある。サークル結成から4つ打ち曲が続いたのでたまにはそれ以外を、という思惑もある。BPM100前後なのに加えてローファイなストリングス、少し歪んだキックを用いたのは自身としては割とチャレンジングだったが思ったよりは上手くいったように思うが、もう少しストリングスを前面に出していても良かったかもなぁという気もする。ディレイ強めのピアノのフレーズは、衛星を周回するのをイメージしていた。
タイトルは映画アポロ13の原作小説の表題から拝借した。宇宙を題材にしている割には(近しい時期にアルマゲドンとかあったことも相まって)比較的地味な映画だったと思うけど、変にドラマチックなストーリーでもなく映像に凄く説得力があって印象に強く残った所に依るところが大きく、楽曲に用いているフレーズも映像からヒントを多分に得ている。
9. Noah’s Ark
前作のguilty girlの続編的作品。といってもバックグラウンドの話ではなく、オーガニックなサウンドも変化球としてはありだなという楽曲面での話。ずっと使う機会を狙っていたリバースピアノが上手く刺せたと思う。シンフォニックでストーリーテリングな曲調に手を出せたのはQY70時代からは考えられないことだったので、楽曲のクオリティはさておいて個人としては制作出来たことに非常に満足した。
モチーフはまんま「ノアの方舟」であるが、イメージとしては何故か方舟は浮かぶもの、だったので、救済というよりも超常現象的な側面に重きを置いていたし、視点的にはノアの方舟に乗れなかった者側である。聖書とか詳しくないので実際はどう記されているかは知らないが、そういった悲壮的なifの話がベースだった。宗教的にも聖書に縁のある生活をしているわけでもないしリンダキューブをプレイしたことがあるわけでもないのだが、雑誌か何かでリンダキューブの記事を見て方舟という概念を認識したのは事実だと思う。
思った以上にボリュームがマシマシになってきてしまい、あと5回くらいで終わる予定でいたが少し計算が狂い始めているのを感じる。3作目まで書く予定だったが、次回へ持ち越しすることに。